国際交流について

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長年旅行業に携わり、現在は国際交流事業に打ち込むKさんから、お便りを 頂戴しました。 先日来、投書いただいた美龍さんなどのご意見に引き続き、感慨深いものがあり とても参考になりました。。
(谷田貝)

谷田貝様 ご無沙汰しております。 今回の一連の話とインドネシアの同級生?の話は 大変興味深く読ませていただきました。
私は現在 国際理解 国際交流 相互理解という観点から 事業を推進している立場ですので、今回の事例は 日本の現状を表している好例として見ています。

IN と OUT それに EXCHANGE  このようにわけて 考えてみるととてもよくわかるのではないでしょうか。 INはインバウンドすなわち日本に来てもらうこと OUTは留学、海外旅行 EXCHANGE は国際交流と考えてください。

近代日本をこの3つのワードでくくってみます。 まず、幕末と明治維新と文明開化 江戸時代は INもOUTもご法度でした。 わずかに  一部 長崎の出島などで EXCHANGE が 行われていました。 わずかではありましたが 実に質の高いものでした。

朝鮮通信使などもそうです。 そして文明開化。 大量の雇われ外国人を 招聘し、(IN) 精鋭の学生、政府高官を留学させ(OUT) てきました。 しかしここには EXCHANGE はありませんでした。 明治末期から大正昭和と 徐々に 外交というEXCHANGE が 行われてきましたが、ごく一部の官の話であって 民はなかったかあるいは記録にはありませんでした。

外貨獲得の使命をもって旅行会社がスタートしました。 これはIN。 JTBの始まりはインバウンドです。 ちょっと無理を承知で1つの事件を交流として捉えてみます。 それは 明治23年 トルコ軍艦 えるとぅーるる号の遭難です。 別途掲載。こちらからどうぞ

遭難を交流と呼ぶのはむりがありますがその後の話を考えると とても立派な交流だったと思います。 これはEXCHANGE。 日清、日露、日中戦争、太平洋戦争等(最悪の交流)をへて 大東亜戦争後サンフランシスコ講和までは(日本は)世界の一員として 認められてない状態でした。

INもOUTもEXCHANGEのない。 戦後 日本は アメリカを中心に多くの留学(OUT)をだしました。 当時はVISAが非常に出づらい世の中の情勢であったこともあり、 外国に行きたい人は憧れであったことでしょう。 戦後復興はやはり 外貨獲得。そこで (IN)が伸びていきました。

昭和もやがて戦後から抜け出した頃海外渡航自由化の時代が 参りました。ここからは怒涛のOUT。 企業研修、企業視察の IN OUT(業務用渡航)が増え、また、 高校生の姉妹校交流 語学留学 などでEXCHANGEも 少しづつ伸びてきました。 

やがて、円高になって INが 伸びず 逆にOUTが 円高を背景に海外買物三昧ツアーや海外社員旅行、海外卒業旅 行がどんどん売れる時代になりました。その結果 IN対OUT が1:4。 そのギャップをうめるべく、YOKOSOJAPAN のキャンペーンなどで INを伸ばそうと 政府が一丸となってやってます。

しかし、そもそもIN、OUTを別々に捉えること事態が能率的でないと思うのです。 前置きが長くなりましたが、EXCHANGEは ある意味ルールとマナーが 必要であり、またEXCHANGEに係わることで磨かれていくのです。 前出のインドネシアの美龍さんの証言や谷田貝さんが対応した ご夫妻を含め、大きく言えばその年代の人々は国際マナーを学ぶ機会が なかったのではないでしょうか。

EXCHANGEを経験すれば異文化理解、相互理解の 仕方を学習?出来たかもしれません。 実はちょっと逆説的にいったのですが、団塊の世代の人々およびその第二世代の ワカモノは共通しています。あくまでも一般論として捕らえてください。 つまり、他人を押しのける教育、マスプロ教育 詰め込み教育の結果 一人ひとりを大切に思う心、他人を思いやる心、気持ちゆとりが育たなかったのでは ないでしょうか

3つ子の魂~はなかなか修正がききません。 でも人間は学習する能力があります。谷田貝さんのところはまさに 学習の場と捕らえ、安易に妥協せず、交流の基本となる異文化理解の 最前線の教室としてがんばってください。理解できない人は日本に帰りなさい! と言って下さい(笑)

まあ、ご商売ですからそうも行きませんでしょうが。 タイのカンチャナブリの生き直し学校を訪問してもらい、タイの現状と それでもがんばっている子供たちやそういう子供たちを支援しているボランティーア の活動をその人達に見せてあげては如何でしょうか? なんらかのインパクトを感じることだと思います。

それでだめなら 日本にも送り返さないでください(笑)日本も そういう人は困ります。(^^)!”

さて 結論をまだ申し上げてないのですがl、 INを考えることは大切です。それは インカム(日本としての収入)を増やすことと 日本を体験して好きになってもらうことで日本びいきをつくること。 OUTを考えることは大切です。世界の情勢を知ること。日本と比較することができる こと。 でも、それぞれがリンクしてないと真の力が発揮できないのです。

双方向 つまり EXCHANGEが果たす役割は 多大です。 1、サスティーナブルであること。 2、協力関係を構築できること(外交) 3、日本、日本人、自分、日本の歴史、日本の役割、日本と世界、地球 を考える きっかけとなることです。 3、はいわゆるアイデンティファイの構築とでもいいましょうか 今の(戦後の日本)日本人に一番欠けていて一番悩んでいることはまさに これなのではないでしょうか?

先ほどのご夫婦にしても現在の電車の車中で 化粧パタパタやってるOLや女子コーコーセーやおばちゃまも路上喫煙で他人に 迷惑かけてるわかものも酔っ払ってくだ巻いてる中年おじさんも、自分を見失ってい るのではないでしょうか。 日本は今、ラストサムライの大反響、歴史もののブーム、モー娘の着物バージョン、 ペリー来航から150年たった今、改めて日本、日本人、日本文化を考えるきっかけ となっています。

ラストサムライには泣けました。俺らが見失っていたものはこれだ!!と。 トルコの後日談 イランイラク戦争のとき、フセインは48時間以内にイラン空港閉鎖すると宣言。 各国は自国の民を救うべく特別機で脱出させたが日本人は救援機が間に合わない。 そこへトルコから救援機が飛んで期限ぎりぎり、邦人を全員 無事連れ出してくれた。しかも民間機です!!トルコだって自国民じゃないのに、 撃墜される危険があるのに、ましてや軍隊じゃなく民間人のパイロットやスッチーで すよ!!

でも彼らは日本人を救いたかったんです。それは そう、この前のお返しですって。 100年も前のことですよ。彼らはその恩をきちんと後世に伝える努力をしていまし た。 そう、小学校の教科書に載っているのです。小学生なら誰でも知っていることだそう です。 国際交流の意義というか成果というか、そんな小難しい言葉じゃなく、人間として 当たり前の行為ではないでしょうか。

今、我々ができること、それは 日本の教科書にトルコのイラン救出作戦を載せるこ と。 サッカーのワールドカップでトルコを応援すること。よく伸びるトルコアイスクリー ムを 食べること。そしてトルコへ送客すること。交流事業を企画することなど。 旅行業、交流事業に関わっている人々は多かれ少なかれこのような ことを考える機会、ポジションに恵まれていると思います。 我々こそがその役割を担っていると自負していいんじゃないでしょうか! 長くなりました。 この辺で

K

2004年3月8日

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