お客様の声

東南アジアへの旅を経て国際ボランティアの道へ・・・

大阪はH百貨店のNさん、お元気ですか?この夏はお中元シーズンの中お邪魔し て失礼しました。 バンコクの空からこんにちは。 今日は、原稿執筆などが多いので、ちょっと気分を変えてオフィスではないとこ ろで仕事をしています・・・。 今日は、出版社勤務を辞め、東南アジアへの旅を経て国際ボランティアの道へ進 まれた女性からのお便りを御紹介します。

谷田貝 良成 様  「バーンタオ通信」、いつも楽しく拝読しています。また、職場が大変お世 話になっております。  「現役世代の読者の方へお知恵拝借のお願い」とのことでしたので、日頃楽 しませていただいている御礼に、と投稿しました。ご笑覧ください。  申し遅れましたがわたし、川崎典子(35歳・女性)と申します。社団法人 シャンティ国際ボランティア会(SVA)東京事務所のの職員です。 ○購読し始めたキッカケ。  「まぐまぐ!」の紹介を見て、だったと思います。とにかく、東南アジアの 情報ならなんでも読みたいので、まめにチェックしています。 ○このメルマガに何を求めていますか?  旅行で長期滞在していたこともあるので、通り一遍でない、タイの生活情報 を期待して購読しています。旅行で滞在するのと、仕事をもって生活するのと では視点が違いますので。 ○その他何でも感想  ある出版社で編集の仕事をしていたのですが、一念発起して連れ合いと東南 アジア長期旅行に出ました。1997年~1998年のあいだに歩いた国、1 0か国。人びとのフレンドリーな笑顔とおいしいご飯に惹かれて、タイでの生 活を決意しました。  現在は、東南アジアで教育・文化支援に取り組むNGO、社団法人 シャン ティ国際ボランティア会(SVA)http://www.sva.or.jp に勤めつつ、年に 何度かタイに出かけてリサーチを兼ねた旅行をしています。 ○ちょっとPR  長期旅行中に旅先から日本に送ったイラスト・エッセイをまとめたミニコミ 『のんたけタイムス』を作りました。東南アジアに関心がある方、肩の凝らな い読み物をお探しの方のお役に立てたら嬉しいです。なお、わたしは染織(特 にインドネシア・バティック)、パートナーは遺跡マニアなので、その分野の 情報は盛りだくさんです。ご関心のある方は jun_lantom@yahoo.co.jp ま で。日本国内なら1部500円+送料240円でお送りしています。  「バーンタオ通信」、今後も楽しみにしております。サヌックでサバーイに いきましょう。

と、云うわけで『のんたけタイムス』なんだか楽しそうな冊子のようですねえ。 関心のある方は申し込んでください。 川崎さんが所属するシャンティ国際ボランティア会(SVA) http://www.sva.or.jp のバンコク事務所さんとは小生も長いお付き合いをさせ てもらっています。 現ビエンチャン事務所長のYさんとの出会いがキッカケだったのですが、実は昨 日付けのメルマガで紹介しました「癒しの大地・タイ王国」の癒しの3条件とい うのは、もともとはYさんからのお言葉がヒントになっておりました。そのエピ ソードだけで一冊の本が書ける位なので、それはまた別の機会に・・・。 シャンティ国際ボランティア会(SVA)http://www.sva.or.jpの、教育支援を 中心とした活動の主旨には賛同していますので、気持ちとしてはすっかり会員の つもりで、小生の出来る分野の航空券や車両の手配など、側面支援的なことを させていただいています。 また、ロングステイ半日体験の際、希望者に限り、活動拠点のスラムや図書館な どの見学をさせてもらっています。 11月15日

要するに、私は、タイへ母を連れて行き・・・

東京都江東区のIさん、お元気ですか?よくスターバックスやBTSの車内でお 目にかかりましたねえ。

バンコクの空からこんにちは。 今日はオフィスにエアコンが入ってません。トホホ・・・。

今日も関西の女性からのお便りを紹介します。 母上の闘病と介護の中から、タイでのロングステイを模索されて過程を、丁寧に 記載して送っていただきました。

とても長いお便りですが、大切なテーマがたくさん含まれていると思います。 但し、少し重いテーマです。お便りの全文はHPの方に掲載しますので関心のあ る方はクリックしてください。

谷田貝さんへ

初めまして。 大阪在住のT(36歳女性)と申します。 今年3月より脱サラし、家庭教師で生計を立てております。 バーンタオ通信を読み始めたのも脱サラしてからです。 半年くらいになります。 いろいろ思うところあり、アンケートに回答させていただきます。

○購読し始めたキッカケ。

四年ほど前に父が亡くなりました。 父に対してできることを探し求め、仏教に帰依するようになりました。 その頃から、「タイ」という言葉に敏感になりました。 タイ=仏教の国 というイメージが強かったからです。 タイは、高校の卒業旅行で行ったことがありましたが、 若かったこともあり、観光の域を脱せずでしたので、 もう一度、仏教徒として、敬虔な気持ちで訪れたいと思い始めました。

父が亡くなって1ヵ月後、母が脳内出血で倒れ、寝たきりになりました。 父とは長年、生活を共にしていませんでしたが、 母は私たちを文字通り、女手ひとつで育ててくれた人でしたので、 とてもショックで、ますます、み仏様におすがりする日々でした。 出血したのは脳幹部で、命はかろうじてとりとめたものの、 普通の生活をするのはもう無理だと、医者から匙を投げられたからです。

妹は、仕事を辞めて、ヘルパーの資格をとり、 母に一身捧げる決意をしました。 私はその助けをするしかありませんでしたが、 どこかで、ひとの命のはかなさをおもうとともに、 来世での救済をひたすら求めておりました。 何でも人並み以上の完璧さでもって自分でこなしてきた人が、 寝たきりで、自分の意志を伝えることも侭ならない状態になったことを、 私自身、受け入れることがあまりにも辛く、 その現状を正視できなかった。 願わくは、御仏様の御許へ、安らかに昇天しますようにと、 願うばかりでした。

方や、妹は、母を治癒し元気付けるべく、 あらゆる療法を試し、名古屋によい医者がいると聞けば通い、 九州によい療養所があると聞けば、 どんな困難を押しても母を連れて行き、 本当に、私も頭が下がる思いでした。 私はそこまで母に尽くせないと。 その妹から、母をいろんな場所へ連れて行く際の困難を聞き、 バーンタオ通信の、タイでの現状と照らし合わせて考え、 もう少し母の体力がつけば、 日本よりも思い切ってタイへ行くべきだとの考えが、 私の中で大きくなってきました。

今年3月で脱サラし、もっとたくさん母との時間をもてるのではないか、 (実際は、生活のやりくりで大変だったのですが・・) 寝たきりが今後数十年つつくであろう母のために一番よいことは何かと、 真剣に考えはじめた矢先でした。

母は、今月9日、息をひきとりました。 父と同じ、57歳、駆け抜けた人生でした。 最後は本当に安らかで、 家族皆で看取ることができ、 これも御仏様のみ心と、今も感謝でいっぱいです。

これから何をしていけばよいのか、 していかねばならないのか、再び考えつつあります。 いずれにせよ、母の遺骨とともにタイを訪れる日はそう遠くないと思っております。

長くなりましたが、要するに、私は、タイへ母を連れて行き、 ロングステイしたかったのです。 そうでなければ、半年も続かず、途中で購読を止めていたかもしれません。。。

○このメルマガに何を求めていますか?

そうですね。。 上に書きましたような願いが叶わない今、 今度は自分の人生について、 母の二の舞にならぬよう考えねばとおもいます。

タイでのロングライフについて、 私のような若い世代でも、仕事を持って生活していけるのか、 そのあたりの情報がわかれば嬉しいです。 あと、タイ語のレッスンなど。

自身、家庭教師とサラリーマンの二足の草鞋が長かったのですが、 今は、「自分」というより、これからの地球を担ってゆく、さらに若い世代の子供た ちに、 ちゃんとした教育(今実際やっていることは、受験のお手伝いにすぎませんが、 それでも、私の生徒には、自分のあたまでものを考える人になって欲しいと常々思っ ています) を普及できるお手伝いをしたいと思っております。 そのためには、自身が最低、きちんとした日本語と、 必要最小限の英語とタイ語を操れる必要がありますね。。

○その他何でも感想。(改善点などもついでに)

はっきり申し上げて、変わり栄えしない配信の日もあります、 それでも、毎日、きっちりと配信されている、 そのお姿に、頭が下がります。 谷田貝さんのお姿、お人柄がおもいうかびます。 タイに参りました際には、是非お会いさせていただきたいと思います。

要望は上に申し上げたかと存じます。 まだまだ私も模索中です。 また気づきましたらお便りさせていただきます。

とても長くなってしまいました。 最後に、谷田貝さまの、益々のご清祥とご健康を お祈り申し上げます。 それと、どうぞ親孝行をなさってくださいませ^^ これは、敬兄(勝手に!)の谷田貝さまへ若輩の私が、 強く申し上げられる、唯一の言葉かと存じます。 「孝行したいときに親はなし」 身に沁みて、本当にそのとおりです。。

これからも楽しみに拝読させていただきます。                    かしこ

谷田貝良成さま

内容が母上の亡くなられた事に関わりますので、メルマガへの掲載にあたりTさ んに念のためお許しを求めたところ、下記のお便りを頂戴しました。

> 谷田貝さまのメルマガの方針に若干反するのではないだろうか?ということです。 > 母の病気や死以上に、仏教に帰依していることなど、 > 偏ってはいないだろうか?大丈夫なんだろうか?と、 > 勝手に懸念しております。 > (それほど敬虔な仏教徒でもないのですけれど、 > 宗教的な問題は微妙ですから。)

このお便りについては、以下の通りおこたえさせていただきました。 タイに住み、皆さんに紹介をしていながら、仏教に対するスタンスについてキチ ンと書いたことは余りなかったと思います。 T様への答えが、一応の小生の考え方となっています。良い機会と思いましたの で、下記します。

(ここから)

宗教的な問題は微妙・・・

確かにそういう面もありますね。

でも、今回のT様の場合、母上の闘病、そしてお亡くなりになる過程での大変な ご苦労の中、仏様に帰依することが心の安寧をもたらしたことは事実ですよね。 個人的なケースとしての紹介ですので全く問題ないと考えています。

開業以来、「癒しの大地・タイ王国に暮らす」というキャッチフレーズを掲げて きました。ここで暮らし、健康に、元気になろうというメッセージです。

タイの「癒しの大地」の条件とはHPでも説明していますが、以下の三つだと思っ ています。

①自然

年に4回もお米が、しかもあまり手間をかけず取れてしまうような場所もあり、 おなかが空けば手の届く範囲に美味しい食べ物があるという、圧倒的な、アッケ ラカンとした自然条件。しかも寒くない。

②文化

王様を頂点に、目上の方を尊敬する気持ちが残っている。 例:生まれてきた子供は言葉を覚えるよりさきに合掌を覚えるとのこと。

③仏法〔=宗教〕

朝の托鉢でもわかるように祈りの心がそこここに満ち満ちている。

同じような自然条件の国は、地球上にいくらもありますが、この三つの条件を整 えている国は少ないと思います。

それゆえ、心と身体の「健康の維持・増進・回復」=「広い意味での人間回復」 を図るためには、今は、ここタイがもっとも相応しいんじゃないかなと考え、上 述したようなメッセージ=仮説を立て活動しているわけです。

従って、宗教という事柄は避けて通れない重要な課題なんです。 今は、自分自身に語れるものがまだそれほどないのでメルマガでも記載する機会 がないだけなんです。

慎重に扱うべきとは思いますが、避けられないテーマだと考えています。

(ここまで) 11月14日

晴れて『サンデー毎日』の身の上に・・・

今年の冬、ラオスの旅に出かけた時は独身、今は新婚のHさん、お元気ですか? そろそろ何か新しい旅をご提案しないといけませんねえ・・・。 バンコクの空からこんにちは。 今日も相変わらず蒸し暑いです。 今日は土曜日なのに出社してデスクワークです。 さて、昨日は奈良県のSさんのお便りをご紹介しましたので、今日は京都から働 く女性Fさんのお便りをご紹介したいと思います。 名づけて古都シリーズです。 Fさんは来年にはリタイアされる予定との由。 Fさんは今、メディアを中心に喧伝されるロングステイという言葉の一人歩きを 危惧されています。 ご一読ください。

谷田貝様 10/24日のバーンタオ通信で呼びかけていただきましてありがとうございまし た。嬉しかったです。 来年1月1日から晴れて「サンデー毎日」の身の上になりますので、ロングステイ の計画を本格的に考えたいと思っています。 半年くらいは失業保険を受けたりしながら、その合間をぬってバーンタオチェン マイ宿泊券の有効期限の間に是非訪問したいと考えていますのでいろいろお世話 になりますがよろしくお願い致します。 こんなメールを書いていますと、心はもうタイに飛んでいってしまっています。 ところでバーンタオ通信の皆さんの意見を読んでいて感じますのは、ロングステ イという言葉が「社会制度不安などからの生活防衛的なイメージ」させる言葉に なっているとありましたが、少なくともバーンタオの仲間達はそんなイメージを 持っていただきたくないなあと思いました。 先日馴染みの飲食店のママさんから「タイで暮らしたら月10万円くらいで暮らせ るらしいエ」と言われました。 日本のテレビ番組で最近ロングステイの番組がやたら多く”こんなに安く暮らせ ます”と紹介していますが、あれは多くの視聴者に勘違いさせていると思いまし た。 それに紹介された国や国民に対して失礼ですし、現在ロングステイを楽しんでい る人々にとって迷惑な話だと感じました。 私の考えるロングステイとは人生のご褒美としていただけるロマンみたいなもの なのです。 もしタイでロングステイをするようになったら、タイに住まわせてもらっている という気持ちでそれなりにお金も使わなくてはタイ政府が日本人リタイアメント を受け入れる意味がありませんし、高邁な意識も必要です。 でも、そんなこと には全く触れていないのです。ただゴルフや物価が安い、メイドが雇える、広い 屋敷に暮らせる…そんな夢の様なことばかりを紹介しているのです。それも事実 かもしれませんが、単なるツーリストではないのですからタイ人の生活の現実も 認識する必要があるのではないかと思います。 そのうち、勘違いしたロングステイヤーで溢れかえるのではないかと危惧してい ます。 ちょっと生意気言ってスミマセン。 では近々お会いできるのを楽しみにしています。 京都・F

サンデー毎日、良いですねえ・・・。 小生、独立したてのころ暇そうにしてたので、よく友人たちにそのように羨まし がられてました。 商売している身としては、嬉しいような哀しいような・・・。 > ところでバーンタオ通信の皆さんの意見を読んでいて感じますのは、ロングステ > イという言葉が「社会制度不安などからの生活防衛的なイメージ」させる言葉に > なっているとありましたが、少なくともバーンタオの仲間達はそんなイメージを > 持っていただきたくないなあと思いました。 バーンタオの仲間達・・・ ありがとうございます。 読者の方々が本当にそういう意識をもってくださったらこれ程幸福なことはあり ません。 「ロングステイする」ということばでなく、「バーンタオする」ということばで、 自分の提唱することを言い表せる位にならないといけないと思う次第です。 11月13日

日本人として恥ずかしくないように・・・

チェンマイでカオソイ(=チェンマイ風カレーラーメン)屋さんを営むMさんお元気ですか? なかなかご挨拶にあがれず失礼しました。 バンコクの空からおはようございます。 朝から蒸し暑いです。 今日も、午前中デスクワーク。 午後も、やっぱりデスクワーク。 さて、11月3日付け当欄でご紹介した奈良県在住のSさん。 約40年前、バンコクでの駐在時代の思い出、バンコクの様子を描いてくださいました。 今の日本の方に、是非心得ていただきたい教訓も含まれています。 少し長いですが、ご一読ください。

谷田貝さん 遅くなりましたが、一昔前のバンコクにつきまして、私の限られた経験をもとに、 少し書かせて頂ます。とりあえず3トピックスをお送りします。更にもう少し書けると思います。 1)日本人として恥ずかしくないように。 東京オリンピックの翌年(昭和40年ー1965)より大阪万博の年(昭和45年ー1970) まで、バンコクに駐在しました。 当時の日本は外貨準備が確か10~20億ドル位で、景気が良くなると輸入が増え貿易収支が 赤字となり、引き締め政策が取られるといった状態で、厳しい外国為替管理が行われていました。 私は28歳でタイへ赴任しましたが、当時の給料は子供2人の手当てを入れて4万円位でした。 所がタイへの片道航空運賃が15万円位でしたから、個人で海外旅行をするのは高値の花も良い ところでした。 それでも当時タイには日本人が1万人は居たと聞きました。 占領軍の管理貿易が解除され、貿易再開された昭和28年より未だ10年ちょっとで、戦争で焼け 野原となり打ちのめされた日本より海外へ出て行った当時の日本人は”日本人として恥ずかしく ないように行動しよう”という気持ちを持っていたように思います。 私はタイでゴルフを始めましたが、プレイを終わってクラブハウスで帽子を机の上に置いてビール を飲もうとしていると、他社の方からその非礼を注意されたことがあります。又同時期にロンドン に赴任した連中は食事はテーブルクロスの掛ったレストランでしろと命令された、と聞きました。 (私もこれから15年してロンドンへ駐在しました時はそんなことは関係なくなっていました。) この様に、当時の日本人は戦争に負けたと言う劣等感の裏返しだったのかも知れませんが、日本人 として恥ずかしくないようにしようと謙虚だった様に思います。 あれから40年が経ち日本は経済大国となり、日本人は自信を付けました。しかし”金持ち”に なったからと言って謙虚さは失くしたくないものです。 当時のバンコクは車も少なく、牧歌的でした。今盛り場となっているタニヤは野原でした。 ニューペブリ路もがらんとした通りでした。(ベトナムの北爆がタイより行われるようになって、 休暇の米軍兵士が来るようになり、娯楽施設が林立するようになりました。) 一流ホテルでは、コロニアルスタイルと言うのでしょうか廊下がオープンエアーのエラワン、 今より規模が小さかったオリエンタル(ノルマンディーグリルは当時もありました。)。 出張者がよく利用したは、モンティエン、マノーラ。ドゥシットタニ、インペリアルもありました。 パタヤにはイタリア系のリゾートホテルが一軒だけありました。宿泊して朝海岸に出ると、 人っ子一人おらず、のどかなものでした。 2)最初の異文化体験ー外国人価格 タイで少し生活してみて、頭にきたのは、同じものを現地人より高くかわされることー外国人価格ー でした。 ある日本人の奥さんが、買い物に出すと女中がピンハネをするので、自分で買いに行ったところ女中 のピンハネ価格より未だ高い値段で買わされた、という冗談のような話を聞いた事があります。   タイで鍛えられたので、その後、東南アジアでは相手の言い値の3割くらいから値段交渉を 始めるようになりました。ただ最終段階になって、その金額差を円換算すると僅かな金額なので、 馬鹿らしくなってきて、折れてしまうのは日本人の悪い癖です。 その後、香港に行って、この外国人価格のルーツは広東人にあることを実感した。 邱永漢先生は”食は広州にあり”と言う本で、”日本人は原価に利益をのせて売る。中国人は売り手 と買い手の合意で価格を決める。”と喝破している。(即ち、中国人にとって価格は ”一物一価” ではなく、”交渉次第”ということになる。) 日本人は金持ちだ(実際はピーピーしてるのに)、と勝手に思われて、価格は交渉次第だと、 原価無視の値段を吹っかけられては、救いがないですね。 日本での価格は交渉次第の世界は、工業製品でない骨董品位のものだろうと思います。 ただ、最近行ってないので分かりませんが、一昔前までの大阪の丼池(繊維街)、 日本橋(電気屋街)では、ソロバン片手に”値段は交渉次第”の世界でした。 最終的に本件は余りカリカリせずに、”郷に入れば郷に従え”で割りきって行くしかないようです。 私は最近では、時間が掛かるのが難物ですが、一種の遊びとして東南アジアに行った時には、”値段 は交渉次第”の世界に浸っています。 3)住居 当時家族の呼び寄せは一年後でした。 家族が来るにあたり、家探しをしました。当時の現地給与は12 千バーツ位(1バーツは16~7円 でしたので、20万円位)でしたので、家賃は3千バーツ位しか出せません。 エアーコンのある家は4~5千バーツしましたので、エアーコンなしの家でした。最初の家は大家さん の住んでいた総チークの家でした。2階のベランダは2メートル位で屋根が付いていて、太陽が入ら ないように工夫されていると言うように、エアーコンは有りませんが結構すごし易い家でした。 (その後、もう一軒エアーコンなしの家に移り、最後は、給与も上がっていましたので、 エアーコン付きのフラットに入りました。) 今から考えると、エアーコンなしで、よくやったなと思います。 タイの家はサーバント・クオーター(女中の居住区)が別棟になっていて、台所も別棟にあるのがタイの お金持ちの家屋構造です。私の大家さんはそれほど金持ちでなかったのでしょう、私の借りた家は キッチンが母屋にありました。 英国人は”家は城”と言います。タイでも家は城で、私権は保護されています。当時私は麻雀が大好き でよくやりました。麻雀を終えて、夜遅く、というより朝早く、帰宅すべく友人の家を出ると、門前に 警官が立っていることがよくありました。麻雀はタイでは国禁の遊びでしたが、麻雀をしているのが 分かっていても、令状がなければ踏み込めないのだそうです。 当時は泥棒は私権の保護には関係しませんので、日常茶飯事でした。我が家の女中さんが、夜中にひと の気配で目がさめた。私が麻雀して帰ってきたのだと思って、外を窺うと見知らぬ男が玄関先に 立っていた、と翌朝報告してくれるといったことがよくありました。 そんなことで、タイの人達は自己防衛にピストルを持っています。 当時は、陸軍の佐官級の人の証明書があれば、簡単にピストルを持てました。 私は経理担当にて、現金の入った金庫をもっていましたので、会社出入りの船積業者より”ピストルを 持て”と言われたことがあります。試し撃ちをさせろ、と言って射撃練習場でスミス&ウエッソンと コルトのオートマチックを撃ったことがあります。我流でやったことでもあり、余りにも命中しない ので、購入はやめました。 当時は日本は未だ貧乏でしたので、このようにエアーコンなしでも疑問も持たずにがんばれたのだと 思います。  Sより

S様 このたびは長文のお便りありがとうございます。 当時の物価まで描いてくださりとても興味深いです。 特に、”日本人として恥ずかしくないように行動しよう”というくだりは今の日本人に 知ってもらいたいですね。 11月12日

しょんぼりと日本に帰る姿も・・・

“もうすぐ大学院卒業の26歳、女性です。”と、メールを下さったMさん、無 事卒業できましたか? バンコクの空からおはようございます。 昨日の午後の突然の雷雨には驚かされました。 今日は、午前中デスクワーク。 午後も、おとなしくデスクワーク。 こんな日もないと・・・。 昨日、この欄で呼びかけさせていただいたYさんからのお便りを紹介します。 無事、マレーシアはキャメロンハイランドからお戻りでした。 でも・・・

谷田貝様 いつもメルマガみています 今年の夏は2か月キャメロン・ハイランドで過ごしてきました 日本は猛暑だったようなので涼しい高原での滞在がちょうど幸いしました キャメロンは「月15万年金で暮らせる常春の地・・」という本のお陰でしょう か 日本人が沢山来ていましたね チェンマイとは比較にならぬほど小さないなか街ですから日本人が押しかける冬 と夏は日本人がやたら目立つようです だから滞在中の日本人との付き合い方に気をつかわなければなりません 自分たちは幸いよい友達もできて再会の約束などしてきましたが なかにはそう でもなくてしょんぼりと日本に帰る姿もみかけたものです たぶんこういう問題はほかのロングステイ先でも起こりえることなのでしょうね 近況ですが この秋横浜から静岡県の伊東に引っ越しました 海外ならぬ国内ロングステイのような感じで長く住んだ横浜を離れてみました 住む環境ががらりと変わったものですから暫くはたぶん一年ほどは落ちついてこ の地に親しんでみようかという心境にあります チェンマイにはまた行きますからね バーンタオ・チェンマイの管理人さまによろしくお伝えください お仕事のご発展を期待しています Yより

「だから滞在中の日本人との付き合い方に気をつかわなければなりません・・・」 なるほど。 ロングステイはそもそも日本のしがらみを断ち切るためという目的もあるのでしょ うが、日本人が増えると、滞在地にまでヤヤコシイことを持ち込んでしまう人も いるのでしょうね。 秘訣はつかず離れずといったところでしょうか・・・。 11月11日