無気力に生きる方が、死より怖い・・・

やはり奈良県のSさん、お元気ですか?いつも投稿ありがとうございます。随時 ご紹介していきます。 バンコクの空からサワディー・クラップ!! 今朝もやっぱり良い天気です。少し二日酔い気味ですが・・・。 今日は午前中、オフィス。 午後、チェンマイに行っていた和歌山からお越しのHさんご夫妻を空港でお迎え し、その足でホアヒンへ。 今日は海岸沿いのレストランで美味しい海鮮料理をご馳走するつもりです。 プー・ドーン=生の渡り蟹のナムプラー漬け?が小生大好物なのですが、日本か ら来た人には無理かな??? さて、ちょっと間があいてしまったのですが、11月4日付け当欄に、 “より良きライフスタイルを提唱する身としては、「より良き死に様」について も、考察し、発言しなくては片手落ちだなと考えるようになった次第です・・・” と発言し、ご意見を求めました。いくつものお便りを頂戴しておりまして、じっ くりと自分でかみしめておりました。時々、思い出したように、少しづつご紹介 していきます。 今日は冒頭呼びかけさせていただいた奈良県のSさんからのご投稿です。

谷田貝さん 非常に根源的な問題をご提起され、久し振りに”死”を考えててみま した。 中学生のころ”死”を考え、自分の存在が無くなった後のことを思うと 訳が分からなくなり、気が狂いそうになって、死を考えないようにしよう と決めた記憶があります。 その後、二度死に掛けました。一度目は胃潰瘍での吐血が数日続 き、未だ若かったこともあり、こんなことで死ねるかと気を奮いたたせた 記憶があります。 二度目は転落し、鼻底骨折、眼底骨折で髄液が出てき、私は聞かされていません でしたが、まもなく脳膜炎になり、意識がなくなると言われていたようです。 (その後、手術もせず治癒しましたが、医者に言わせると、十年に一人の奇跡だ とのことでした。) このような状況になると、不思議に死は一つも怖くなく、死とは眠る ようなものだろうと思いました。 死は元気な時に考えると、恐ろしいものですが、いざ死に直面すると すんなりと抵抗感なしに受容できるものではないでしょうか。 九十歳を越してかくしゃくとされている知人がいますが、最近ケアハウ ス移られました。そのケアハウスの先住者(14人)は無気力で何も せず、ただ死を待っているだけといった感じで、同化されそうだ、とこぼし ておられました。このように生きがいを無くし、無気力に生きる方が、 死より怖いように思います。 老衰で亡くなった祖母が、亡くなる数日前に”早くお迎えがこないか な”とぼそっと洩らしたのを思い出します。 S(奈良在)

「無気力に生きる方が、死より怖いように思います。」 これは、年齢とは関係の無いことですね。 Sさんの論旨とは外れるかもしれませんが、小生は毎朝以下の言葉を口に出して 呟いています。 「毎日、目標を立てる。なぜなら今日は、これからの人生の最初の日。 今日の目標は? 会った人のどこかをほめる。(これはサンプルです。)」 と、いうわけで今日も一日楽しく生きましょう。 11月24日

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