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バーンタオ村・村人誌 バーンタオ通信ー癒しの大地・タイ王国に暮らす─
「日本に行けるようになったら、もう一度木曽路を歩いてみたいです。」
1964年5月19日生まれ牡牛座。O型。1988年4月28日来タイ。在タイ生活32年目
■■カメのつぶやき・今日のポイント
「日本に行けるようになったら、もう一度木曽路を歩いてみたいです。」
iPhoneの写真整理をしていましたら、高校時代の修学旅行の写真が出てきました。
高校は、千葉県市川市の江戸川沿いにある国府台(こうのだい)高校です。
とても自由な校風でした。
両隣に、東京医科歯科大学の教養部と和洋女子大学、斜向いに千葉商科大学があり、いわゆる文教地区でした。
近くには、桜の名所の里見公園や矢切の渡しもあって、今思えばなかなか素晴らしい環境でした。
で、修学旅行。正確に言うと研修旅行と呼ばれていたのではないかと思います。
とはいうものの、校風通り内容は柔軟でした。
2年次の秋に実施。同じ期日ですが、全学年8クラスが3つか4つ位のコースに分かれます。
確か、広島、飛騨高山、木曽だったんじゃないかな?と記憶しています。
私達のクラスは木曽を選びました。
更に目的地到着後、クラスが5〜6人のグループに分かれ、それぞれのテーマの調査&レポートを作成します。
私らのグループは木曽の街道筋を歩きながら、民芸品の職人さんたちを何箇所か訪ねてインタビューするというものでした。
インターネットもなかった時代、よく調べたものだと思います。
もちろん、私はなんにもやってません。
成績優秀で優しい女の子たちが準備してくれたのでした。
私ら男子生徒がやったことといえば、街道の路端に赤く熟れている柿が美味しそうだからと、ちょっと失敬して味見したことくらいでした。
もちろんこういうシチュエーションではお決まりの渋柿でした^^;
楽しい旅でした。
写真に写ってる友人たちとは、卒業以来会っていません。
女の子たちはおそらく大学を出た後一般企業に勤め、家庭に入られたのではないかと思います。
男子生徒。
私の向かって右側にO君は、風の噂で某製薬会社の研究所に勤めてるとか。
向かって左側のN君。
大卒後就職し、何年も経たず過労死してしまいました。もう会うことはできません。
まだ二十歳代でした。あまりに早いです。
あの旅で何を語り合ったかは思い出せません。
日本に行けるようになったら、もう一度木曽路を歩いてみたいです。
彼の生きたかった今日を生かせていただいていることに感謝しつつ。
今日も皆さんに、 幸福と健康の粒子が、 たくさん降り注ぎますように・・・。
★以下は私的な日誌です。お忙しい方、関心のない方はスキップし てください♪
■■バーンタオ日誌:カメのあゆみはのろいけど・・・
昼食:カオソーイ(オフィスにて)
【発行者】
Wellness Life Project(Thailand)Co.,Ltd.代表取締役 兼ウエルネスライフプロデューサー 谷田貝良成
【作者に直接メールする】
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【編集後記】
今週もあっという間に終わりました。