一昔前のバンコク:医療編

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東京練馬区にお住まいの、“ワークステージコンサルタント”Mさん、お元気ですか? バンコクの空からサワディー・クラップ!! 今日も明星が美しかったです。 さて、今日は、9日付けでお送りした奈良県にお住まいのSさんから頂いた「一昔前のバンコク」の続編です。 約40年前のバンコクの様子を描いて下さっています。 今日は、「一昔前のバンコク:医療編」です。

5)医療   暑い所ですから強烈な下痢に嘔吐を伴う、コレラではないかと   思うような、食中毒に何度かやられました。一年して家族が来て   、市場から魚を買い刺身にしてよく食べていましたが、食中毒に   はやられませんでしたので、単身者の寮の賄いが不潔だったの   かも知れません。   デング熱と言う熱病のある所です。着任して直ぐ熱病にかかり   ました。手持ちの解熱剤を飲むと、汗がどんどん出ますが3日位   熱が引きませんでした。その後も時々熱病にやられましたが、”麻   雀で不摂生するからだ”と言われるのが嫌で、40度近い高熱を   押して出社し、冷房に震えながら仕事をしました。それでも治る時   が来ると治るものです。      当時台湾人のお医者さんが2人、日本人の歯医者さんが1人   おられ、子供が小さかったもので、大変お世話になりました。(こ   の歯医者さんのご子息はよく存じ上げていますが、今バンコクで   コンサルタントとしてご活躍です。)   子供が庭の池で何かに咬まれた時は、毒蛇ではないかと慌てて   パスツール研究所に走ったこたがありました。   三女がピサノローク路にあった病院で出産しましたが、特に何も   ありませんでした。   帰国する少し前ですが、しくしくとした胃の痛みが1ヶ月ばかり続き   、どうもおかしいので、便をとり病院の相談窓口に持参して相談   しましたが、もう少し様子を見ようと言うことでした。(便はコールタ   -ルのような色でした。血が酸化して黒くなることを知りませんで   した。)   丁度その日の夕方、吐血し救急車で連れていかれたのが、その   日相談に行ったシーロムにある同じ病院でした。   そこでは点滴と輸血はやってくれましたが、医者が診てくれません。   吐血が激しく朝になるとベットの回りは血の海といった状況で、こんな   所で死ねるか、と気を奮い立たせた記憶があります。調べて貰った   ところ、医者を指名しないと医者に診て貰えないことが判明し、早   速医者を指名したところ治療が開始されました。結局、土曜日に   入院して火曜日か水曜日まで、放置されていました。(人間の血   の量は4,500CC位ですが、後で聞くと9,000CC輸血された   とのことでした。血が二度入れ替わったことになります。)   結局胃を三分の二切る手術を受けました。その後の往診に先生   は銜えたばこでやって来て、手も洗わずに傷口を触るという、おおら   かな時代でした。   何日かして食事の許可が出た最初の朝食には本当に”おったまげ   ”ました。詳しくは覚えていませんが、サラダ、卵、大きなえび、デザ   -ト、コーヒーと夕食のフルコース並の食事でした。胃の手術経験   者の先輩より”ダンピング症状”(手術後食べ過ぎると、食物が詰   まり再手術が必要となる。)の話を聞いていたので、自粛しました   が、知らないと危ないところでした。   (それから1ヶ月して帰国しましたが、帰国後2ヶ月して輸血による   血清肝炎を発病しました。) 12月14日

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